5/23/2025
法曹界の多様なキャリアや働き方について聞く、シリーズ「タテヨコナナメの法曹人生」
第1回目は、検察官、弁護士を経て、現在はインドネシアのバリ島で日本語学校を運営している、上原総合法律事務所の中村天洋さん(35)にお話しを聞きました。
水戸地方検察庁時代には、男性検事で初めて長期間の育休を取得し、検察官を退任した後はその経験を活かしながら弁護士として活動していた中村さん。なぜ今、インドネシアで日本語学校を運営しているのでしょうか。
(ライター:細川 高頌/The Law School Times編集部)
ーー中村さんが法曹を目指し、検察庁に入った理由を教えてください
最初に法曹の世界に興味を持ったのは、小学生のころに検察官が主人公の「HERO」というテレビドラマを観たのがきっかけです。司法試験に合格してから実際に検察庁で司法修習を受けたのですが、それが楽しくて、やはり検察官になろうと思いました。
入庁後、東京地方検察庁立川支部と東京地方検察庁で刑事係や公判係を担当し、その後水戸地方検察庁に赴任しました。赴任してしばらくしてから、1人目の子どもが生まれ、水戸地方検察庁の男性検事としては初めて、長期間の育児休業を取得しました。
ーー育児休業を取得する際に、迷いなどはありましたか
もともと、子どもが生まれたらしっかりと子育てをしたいと考えていたので、迷いはありませんでした。ただ、これまで先例がなかったので、最初は上司(男性)におそるおそる「半年ほど育休を取りたい」と相談しました。そうしたら、「私ももうすぐ子どもが生まれる予定で育休を取りたいので、先例を作ってくれ。半年といわず、1年間しっかりと取ったらどうだ」と背中を押してもらい、1年間の育休を取得しました。
ーー検察官を辞めたきっかけはありましたか
検察官の仕事はとてもやりがいがあったし、楽しかったです。ただ2人目の子どもが生まれたタイミングで、名古屋地方検察庁への異動が決まりました。妻は東京で働いていたので、名古屋に異動になると単身赴任になってしまう。家族との時間を大切にしたいと思い、検察官を辞める決意をしました。ちょうどそのころ、水戸地検のときに一緒に仕事をしていた上原総合法律事務所の共同代表者である江崎から一緒に働かないかと声をかけてもらい、今の事務所に入りました。
ーー元検察官の経験は、今の仕事にも活きていますか
それはとてもありますね。刑事弁護はもちろんですが、今の事務所では企業の不正調査を扱うことも多く、そうするとやっていることは検察官として働いていたときとほとんど変わらないんですよ。証拠を集めて、それを文書にして立証する。そのための足腰は、検察官時代に鍛えられたので、当時の経験が活きていると思います。
ーーそこから、なぜインドネシアで日本語学校を?
水戸地検で働いていたときに、技能実習生などの外国人労働者の不法就労事件を数多く担当しました。彼らの中には日本で働くために借金をして、いざ日本に来たら技能実習生として安い賃金で働かされ、パワハラを受けても相談できずに我慢するしかない、そうしているうちにビザが切れて不法就労になり、借金だけ残して祖国に強制送還される人が多くいました。そうした構造に問題意識を持っていたところ、事務所の代表の上原から、海外への事業展開を考えているという話しを聞き、水戸地検のときに感じていた社会課題を解決するために、何かできることはないかと考えました。そして、日本語学校を運営して日本で働きたい現地の人たちに日本語を教え、労働力が不足している日本の企業に斡旋する。その際に、弁護士としての強みを活かして、労働者を採用する日本企業側には、外国人を雇用するうえでの雇用契約や就業規則などについて法的なアドバイスをすることで、外国人労働者も日本の法律でしっかりと守られる仕組みを構築できるのではないかと考えました。
最初は、現地の職業訓練校と提携することも考えたのですが、職業訓練校を視察していて、そこにもやはり課題があると感じました。訓練校に通っている生徒の多くは、学費を借金で賄い、その担保として先祖代々の土地や家畜などの生活に直結するものを差し出しています。しかも借金の利子が、月2%~3%ほどで、とても高いんです。でも現地の訓練校や就職斡旋企業の中には、日本で就職さえさせればいいと考え、日本語をまともに教えずに就職させたり、ひどい場合には生徒が日本についたら誰も迎えにこず、どこに行けばいいかもわからなくて借金だけ残してそのまま帰国せざるを得なかったりする現状があります。そうして、せっかく日本が好きで日本にやってくるのに、日本のことが嫌いになって帰ってくる生徒が多くいることを知りました。そうであれば、我々で日本語学校を運営してきちんと日本語を教え、法的にもサポートできる体制を整えた方がいいと考えました。
(日本語学校の様子)
ーーすでに生徒の中には、日本の企業に就職した人もいますか
去年の5月に開校して、今は生徒が30人弱です。その中の6人は、すでに日本の企業に内定していて、現在ビザを待っている状況です。今後も面接等が続いていくので、希望者全員が就職できるようサポートしていきます。今月にはさらに30人ほどの生徒が入学する予定です。
ーーバリ島で仕事をするにあたって、家族の反対はありませんでしたか
それが全然なかったんですよね。妻は今後のキャリアを考えて数年間海外で生活してみたいと思っていたようで、家族で一緒に移住することにも賛成してくれました。一緒に仕事をしている現地の人たちもいい人ばかりで、今のところ楽しく生活しています。
ーー今後の展望を教えてください
学校が軌道にのるまで、少なくとも数年はバリで日本語学校の運営に携わる予定です。今後学校の数も増やしていきたいと考えています。また、バリに移住することが決まってから、「日本インドネシア法律家協会」に所属することになり、ジャカルタでの総会や、現地の裁判所訪問などを行っています。検察官としての経験をいかして現地の刑務所での講演活動なども行っていますし、これまで自分が歩んできたキャリアや、法律の専門家としての知見をいかして、日本とインドネシアの架け橋となるような活動を続けていきたいと考えています。
中村天洋弁護士 プロフィール
埼玉県立川越高校
首都大学東京
首都大学東京法科大学院
検事任官(東京地方検察庁、水戸地方検察庁等)
弁護士登録(第二東京弁護士会)