5/29/2025
法曹界の多様なキャリアや働き方について聞く、シリーズ「タテヨコナナメの法曹人生」
2回目となる今回は、技術者から弁護士となり、「技術法務」のパイオニアとして小説、『下町ロケット』に登場する弁護士のモデルにもなった、内田・鮫島法律事務所の鮫島正洋弁護士にお話しを伺いました。
企業の持つ技術力やノウハウの価値を最大化するため、経営者と2人3脚で仕事をしていく知財弁護士。そこには、比較的規模の小さな企業と仕事をするからこそのやりがいと、弁護士としての成長があるといいます。
(ライター:細川 高頌/The Law School Times編集部)
ーー最初に、弁護士を目指したきっかけを教えてください。
私はもともと理系の出身で、大学を卒業したあとメーカーの技術者をしていました。技術者としての知識や経験を活かせる資格を取ろうと思って、最初に弁理士の資格を取りました。その後、弁理士として仕事をする中で、知財や技術の分野を専門にしている弁護士がほとんどいないことに気がつきました。そうであれば、弁護士資格をとれば少なくとも他の弁理士とは差別化ができそうだし、何か自分にしかできない仕事があるのではないかと、当時は漠然と思っていました。
ーー司法試験に合格して、弁護士として働き始めてからはどうでしたか
最初は苦労しました。先駆者がいないということは、マーケットが開拓されていないということなんですよね。もちろん当時から、中小企業を顧客として、会社顧問や倒産処理をしている弁護士はたくさんいたんですけど、知財とか技術を絡めて仕事をしている弁護士は1人もいなかったんですよ。けれども、企業規模の大小にかかわらず、特許をとったり、技術力をアピールして資金調達したりすることは必要なことですよね。自分のキャリアだったらそこにフィットするなと思ったことが、すべての始まりでしたね。
ーー具体的には、どのようにビジネスにつなげていったのですか?
例えば、日本の技術力は素晴らしいものがあります。ある町工場が優れた部品を作る技術を持っていて、その部品を使えばメーカーはより高性能の商品を製造することができる。町工場としては、なるべく高い金額でメーカーとライセンス契約を結ぶことができれば、その資金を元にまた新たな設備投資や技術開発ができる。そのときに、技術のことについては素人の弁護士が間に入るよりも、私のような経験・キャリアを有する者が間に入った方がその技術を正当に評価して契約してもらえるのではないかと思ったんです。そこに、自分にしかできない仕事を見出しました。
ーー先駆者としてマーケットを開拓していくうえで、どのような苦労がありましたか
最初は、比較的規模の小さな企業の町工場の社長さんに営業をかけても、話は聞いてもらえるんですけど、前例がないから費用は払えないというような返事が多かったですね。設備投資のためには何千万というお金をかけるのに、ライセンス契約などのために弁護士にお金を払うのはもったいないと考える社長さんが多かったです。そのため、タイムチャージ制ということを事前に伝えていたのに、費用を払ってもらえない、というようなこともありました。自分たちが提供する価値を理解してもらえないという点が最大の悩みでしたね。
ーーそこから、どのようにマーケットを開拓していったのですか
1つはコツコツと実績を積み重ねて、相手に納得してもらうだけの価値を提供すること。もう1つは、社会全体に理解してもらえるように、長期的な視点に立って啓蒙活動に取り組みました。当時、特許庁から中小企業の知財戦略のプロジェクト座長に指名されたので、プロジェクトの中で、「中小企業にとって知財や特許ってこんなに重要で、きちんとやることでこんなにいいことがあるんですよ」と繰り返し説明しました。そのころに、たまたま池井戸潤さんと知り合って、小説「下町ロケット」に出てくる神谷弁護士のモデルにしてもらったことで、特許訴訟やライセンス契約の重要性について、少しずつ社会的にも認知されるようになりました。でも時間はかかりましたね。マーケットを作っていくっていうのはそういうものだと思いますが、理解が進んだなと実感できるようになるまでには20年近くかかりました。
ーー改めて、技術法務のやりがい、面白さを教えてください。
例えば4大法律事務所に就職すれば、社会的影響力の大きいM&Aにかかわることができるかもしれませんが、その場合に弁護士ができるのはM&Aに関することだけです。しかし我々は、時には従業員にも話すことができないような経営の悩みを小さな町工場の社長から聞いて、2人3脚で仕事をしていく。そうして企業の経営者と腹を割って仕事をしていく中で、自分も経営的なマインドが身についていくんです。法律や知財の知識を使ったコンサルタントとしての能力が身についていくんですね。ここでいうコンサルとは、会社の企業価値を上げることができる能力です。ふだん弁護士をしていても、会社の企業価値を底上げできるような能力はなかなか身につかない。でも、いろいろな経営者とやりとりをしていると、経営者的な目線で、法務的にはこういうリスクヘッジをしよう、ここは特許をとろう。ここは特許をとらずに、ノウハウとしてライセンス契約を結ぼう、みたいな感覚が身についていくんです。それが、知財弁護士の強みになっていくと思います。
ーー知財分野に向いているのはどのような人だと思いますか?
下町ロケットの小説やドラマを観て、ワクワクできる人は向いていると思いますね。
うちの事務所は、もともとは「企業で技術者やっていました、弁理士をやってました」という人を採用していたんですけど、5年くらい前から新卒や技術職の経験のない人の採用も始めました。採用してみると、みんなどんどん吸収していってくれます。新卒で入ってきた弁護士たちが、3年くらいして知財専門の弁護士として1人立ちできるようになると、「あー、新しい人を採用してよかったな」と思いますね。でも、うちの事務所は取り扱っている業務が他の事務所と全然違うので、合う人には合うし、合わない人には合わないんです。なので、今年からインターンの制度を始めました。興味のある人はインターンに参加してもらって、この分野に自分が合っているのかどうかを体感してもらいたいですね。
ーー今後の展望はありますか
今でも日本の中小企業の技術力というのは世界でもトップクラスです。例えば、アップル社製の製品に使われている、ある部品を研磨するために世界で唯一採用されている中小企業が富山にあったりして、そういう例がたくさんあるんですよ。そういう技術が日本からなくなることはないので、技術法律屋としてのスキルをきちんと身に着けていけば、そこに対する需要がなくなることはまずありません。そういう弁護士を育てていくというのが大切だと思っています。そういう弁護士が育って、「企業価値を高められる弁護士」が増えていけば、日本の経済成長や中小企業の成長にもつながっていき、ひいては「技術法務で日本の競争力に貢献する」という私どもの社是を全うできると思っています。
ーー法曹を目指す人へメッセージをお願いします
私は、うちの事務所に入ってきてくれた人たちにまず、「ようこそ、エアポート(空港)へ」と話しています。あなたは今、飛行場までたどり着いた。つまり、ここは出発点でしかなくて、このあと北海道に行くのか、アメリカにいくのか、アフリカに行くのか、その行先を決めるのはあなた自身ですよと。その行先を決めるためには、刻一刻と変化していく社会やマーケットのニーズにあわせて、十年後二十年後に何が必要とされるのか、そのために自分はどうなりたいのかを考え続けなければなりません。
司法試験の勉強は確かに大変ですが、それは入り口にたどり着くためのプロセスに過ぎない。社会に生きる者として本当に必要なことは、その後、法曹として社会的にどういう影響を及ぼしていくか。法律論の勉強だけでなく、そのようなマーケットニーズなどにアンテナを張りながら、司法試験に受かったあとの人生についても、考えていってもらいたいですね。
鮫島 正洋弁護士 プロフィール
1985年03月 東京工業大学(現:東京科学大学)金属工学科卒業
1985年04月 藤倉電線株式会社入社(現:株式会社フジクラ)
1991年11月 弁理士試験合格
1992年03月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社~知的財産マネジメントに従事
1996年11月 司法試験合格
1997年03月 同社退職・同年4月 司法研修所入所
2004年07月 内田・鮫島法律事務所開設~現在に至る