6/12/2025
法曹界の多様なキャリアや働き方について聞く、シリーズ「タテヨコナナメの法曹人生」
大きな体に、トレードマークのパンチパーマ。今回は、元暴力団員という異例の経歴を持つ、諸橋仁智弁護士です。覚せい剤に溺れて逮捕され、所属していた暴力団も破門に。かつて、人生のどん底を経験した諸橋弁護士が伝えたいメッセージとは。(聞き手:The Law School Times編集部 細川高頌)
ーー弁護士になるまでの経緯を教えてください
私は子どもの頃は頭がよく、テストの成績もすごくよかったんです。しかし父親の他界や大学受験の失敗など、人生の挫折が続くなかで覚せい剤に手を出してしまい、ある人との出会いから一時期暴力団にも所属していました。最終的には覚せい剤の影響で頭が正常に働かなくなり、幻聴などもあって渋谷のスクランブル交差点で頼まれてもいないのに交通整理を始めたことで警察に保護され、精神科病院に入院しました。
その後暴力団を破門になり、覚せい剤取締法違反の罪で起訴され、実刑判決を受けました。留置場の中で、大平光代さんの『だから、あなたも生きぬいて』という本を読んだことが、司法試験を目指すきっかけになりました。大平さんは、いじめによる自殺未遂から非行に走り、16歳で暴力団組長の妻となったあと、29歳で司法試験に合格されています。苦しくても何度も立ち上がってきた大平さんの言葉が、人生に絶望していた僕に寄り添ってくれました。裁判の被告人質問で「司法試験を目指したい」と話したら、その時の裁判官が「君なら合格できると思います。頑張ってください」と背中を押してくれました。覚せい剤に溺れて暴力団も破門になった僕のような人間を信じてくれたことがとてもうれしかった。周りの友人からは、「夢みたいこと言うなよ」という反応もあったんですけど、僕のことを信じてくれている人がいるんだという思いで必死に勉強して、7年後に司法試験に合格しました。
ーー就職活動での苦労はありましたか
苦労はありましたね。弁護士の就活は飲み会が多いんですけど、じっくり何時間も話しているとどうしても過去のことを隠し通すことができなくて、悩んだ時期もありました。しかし、あるとき「ここの事務所の先生だったら話を聞いてくれるんじゃないか」ということを教えてもらって、その事務所の先生に自分の前科を含めて話しました。すると、「君を特別に優遇することもしないけど、差別もしない。うちの事務所の採用に応募してみなさい」と言ってくれて、最終的にその事務所で働くことができました。
ーーなぜ過去をカミングアウトしようと思ったのですか
前述の先生や大平さんから、「色々な受け止め方があるから、過去のことについては周りの人に話さない方がいい」というアドバイスをもらっていたため、弁護士になってからもしばらくは話していませんでした。しかし、薬物事件で捕まった人や、暴力団員の刑事弁護を担当していると、過去の自分と同じような悩みを抱えている人や、似た境遇の依頼者と出会うこともたくさんあります。そのなかで、自分の過去を打ち明けられたらもっと深い信頼関係が結べるのではないかとか、その人に寄り添ったアドバイスができるのではないかと考えるようになり、弁護士になって7~8年目くらいのときに、過去をカミングアウトすることを決めました。
ーー周囲からの反応はどうでしたか
色々な反応がありました。当時働いていた事務所に、「暴力団の被害にあった人のことを考えろ」などという電話がかかってくることもあり、迷惑はかけられないと思って事務所も退所しました。僕は、そういう意見も受け止めなければいけないと思っています。過去の自分を否定する気はないけど、やはり自分がこれまでやってきたことに対する責任はある。だから、そういう意見にも真摯に耳を傾けたいです。
その一方で、僕に弁護をお願いしたいという依頼も増えました。弁護士になるような人は、やっぱり子どもの頃から優秀な人が多い。そういう人が刑事弁護をするときに、何気ない一言で依頼者を傷つけてしまったり、無意識のうちに依頼者を下に見ていると感じさせてしまったりすることもあるんですね。僕は彼らの境遇も苦しみも理解できるからこそ、依頼者に寄り添った形の弁護ができるのではないかと思っています。
他には、少年院で僕の本を読んで、これから司法試験を目指しますという連絡をくれた人もいました。僕も大平さんの本を読んだことがきっかけで司法試験を目指すようになったので、そう言ってくれる人がいたことは嬉しかったです。
ーーどのようなときに、弁護士としてのやりがいを感じますか
印象に残っているのは、弁護を担当した暴力団の元構成員が、裁判のあと暴力団をやめて建設業界で働き始めて、「納税の仕方を教えて欲しい」という連絡をしてくれたことですかね。
一緒に納税の申告をしたのですが、暴力団員として犯罪行為ばかりしていた人が、自分から税金を納めるようになったのをみて、僕の仕事が少しでも社会に貢献していることを実感しました。
僕はもともと、弁護士として大金を稼ぎたいとかっていう思いは全然なくて、誰かに頼られたい、社会の中で自分の居場所が欲しいと思っていたんだと思います。
昔はその居場所作りが、薬物の売人だった。確かに薬物の売人をしていれば色々な人が僕を頼ってくるし、ある意味自分の居場所にはなっていたと思います。でもそれはやっぱり薬物という「欲」が中心にあって、そのために僕を頼っているだけなんですよね。でも今は、人生の中で本当に苦しい状況の人、大変な状況の人が、藁にもすがる思いで僕を頼ってくれている。その人たちのためになりたいと思うし、それが人生の中で失敗を繰り返してきた僕だからこそできることなんじゃないかと思っています。
ーー弁護士としての活動を通じて、どのようなことを伝えていきたいですか
渋谷のスクランブル交差点で交通整理をして、精神科病院に保護措置入院になったとき、僕は入院先で「死にたい」とずっと考えていました。あのときは本当に辛かったけど、あの時期があったからこそ、今の自分があります。失敗という経験が、その後の人格や他人への態度などに影響していくと思っています。僕は薬物中毒が治ったとは言っていません。僕もまだ、回復途中なんです。だから、薬物をやっていない今日という日を一日ずつ積み重ねていこう、一緒に頑張っていこうと、薬物事件の依頼者には声をかけています。
僕の姿をみて、もう一度人生をやり直してみようと思ってくれる人がいたら、こんなにうれしいことはないですね。
ーー弁護士を志望する学生たちには、どんなことを伝えたいですか
やっぱり、人としての幅を広げていって欲しいですね。社会には本当に色々な人がいます。
街に出かけて、いろいろな人にあって、人間としての幅を広げていくことが、将来弁護士になったときに本当の意味で依頼者に寄り添うことにつながるのではないかと思っています。大学やロースクールだと、どうしても自分と近い考えや環境の人としか接する機会がありません。勉強が大変なことは十分わかっているので、もしかしたら司法試験に合格した後の話しになるのかもしれませんが、色々なコミュニティに飛び込んでいって、人間関係を勉強して、人として幅のある弁護士になってもらいたいなと思います。
学歴
1976年 福島県いわき市生まれ
1995年 福島県立磐城高等学校 卒業
1998年 成蹊大学 中退
2013年 関西大学法科大学院 修了
経歴
2015年 公設事務所入所
2023年 諸橋法律事務所設立