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「最後まで、自分の信じたものを貫き通せる弁護士になろうと決めた。」東京から沖縄、そして世界へ。久保弁護士の人生の向き合い方。【PR】
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「最後まで、自分の信じたものを貫き通せる弁護士になろうと決めた。」東京から沖縄、そして世界へ。久保弁護士の人生の向き合い方。【PR】

7/25/2025

私たちは夏の終わりの沖縄で、弁護士法人琉球スフィア(旧 琉球法律事務所)を訪ねた。

2007年に設立された琉球法律事務所は、2018年弁護士法人化。そして2024年には「弁護士法人琉球スフィア」として事務所の体制を改め、沖縄だけにとどまらず、世界に向けた挑戦を続けている。

「人々に法の護りを」というミッションの元、いじめられっ子を守った時の気持ちを大切に弁護士を続け、今や沖縄から世界へと業務拡大を目指す琉球スフィア。

相続、離婚などの個人法務のほか、190社にのぼる県内外幅広い顧問先を中心に企業法務にも取り組む。依頼者に最良のサービスを提供し続け、人々に法の護りが行き届く社会を目指す事務所だ。

今回は、代表の久保以明弁護士に、弁護士としての人生の向き合い方、これからの展望などを聞いた。(ライター:カナン/The Law School Timesディレクター、編集:晋川陸弥/The Law School Times編集長、写真:諸井)

(提供:弁護士法人琉球スフィア)


◇目次◇

・琉球スフィアのミッションと弁護士を目指した理由
・挫折しかけて坐禅で気づいた、「やっぱり俺は弁護士だ。」
・東京から沖縄に来た理由
・久保弁護士の考える理想の弁護士と、今後のビジョン


◇琉球スフィアのミッションと弁護士を目指した理由◇

ーー弁護士法人琉球スフィアのミッション、「人々に法の護りを」とはどういうことですか。

これはミッションのタイトルで、「私たちは法の知恵を生かして人々の権利を守り抜き、勇気と希望を分かち合います。そして、正しく秩序ある社会を創造していきます。」というのが中身です。

単純にまとめてしまうと、基本的人権の尊重と社会正義の実現という弁護士法1条みたいな話ではあるんだけれど、当たり前のようで、意外と、日々の業務の中では忘れ去られてしまいがちのように思います。だからミッションには僕が法律家を目指した時の思いや、現に今実務に携わるなかで感じるこの仕事の意義や素晴らしさ、そして私たちが目指すべき姿を改めて込めているんです。

「給与がいい」とか「仕事が楽だ」などという尺度で就職先を選ぶような話を聞くことがありますが、「自分の人生とこの職業に何を求めていくのか」、ここから物事を考えるべきかなと。それが自分の人生との正しい向き合い方だと思うんですよ。

この仕事の意味を感じながら仕事をすることは、とても大切だと思っています。

ーー法曹を志したきっかけを教えてください。

最初は小学校6年生の頃で、当時は裁判官になろうと思ってました。

小学校では、理不尽にボコられそうになって逃げまわったり泣かされたりしたこともあったわけですが、あるとき、「悪くもない自分がなぜこんな思いしなくちゃならないんだ」と立ち向かうようになったんです。もちろん当時は法律ではなく力で勝負していたわけですが(笑)。

そのうち正しい者が正しくいられる社会になるべきだという思いになり、いじめがあれば助けたりもするようになりました。

そしてちょうどそのころ、社会の授業で、憲法の三権分立と一緒に裁判官のことについて教わった。

裁判官は身分が保障されていて、法と良心にしか拘束されることなく事件を解決できると。これはまさに僕にふさわしい職務じゃないかと思ったんですよね。しかも僕は油絵を描いたり、楽器を弾いたり趣味が多くて、金がかかる人間だと思っていた。だから多少経済的にも豊かにならないとダメだと思っていた。そしたら、先生が、裁判官は国からたくさんお給料がもらえると言ったんですよ。

それで、これしかない!と思いました。

同時にその時、将来は僕が幼いころを過ごした千葉県の田舎のように自然豊かな場所で、幸せな家庭を築くことも夢見ました。

ーーなぜ裁判官ではなく、弁護士になったのですか。

中学生の途中のころだったか、だんだん自分は、公務員や組織の中で仕事をするのは向いていないのではないかな思うようになったんですよ。自分のいい加減なところにも気づくようになった。法と良心だけに従えばいいといっても、最高裁の見解と違ったらどうするのだとか、いろいろ考えると、判決のように結論を出すことができなくても、当事者に寄り添って自分の信じたことを主張し、貫き通せる弁護士が自分の性に合っているように思えたんですよ。

12歳で法曹を志し、それからまあいろんなことがありましたが、なんとか27歳の時に司法試験に合格して弁護士になったわけです。

ところが、だんだん弁護士の仕事が面白くなくなった時期があったんですよ…。


◇挫折しかけて坐禅で気づいた、「やっぱり俺は弁護士だ。」◇

正義にあこがれて弁護士になったものの、現実の事件というのは一方的に正義が貫けるわけではない。立証の壁にぶち当たり、理不尽でも不利な和解が強いられることも多い。よく考えてみれば、僕のやっていることというのは、大人の喧嘩の代理人じゃないかと。本人では手に負えないような相手を前に戦わなければならず、後ろを振り返れば依頼人が怖い顔をして「先生しっかりしてよ」とプレッシャーをかけてくる。

前だけじゃなくても後ろも敵なのか?(笑)。もう大変ですよ。

それで、いろいろ悩んで、もう弁護士は辞めて、妻が精神科医だったので自分も精神科医になろうと思って医学部の学士入学の試験を受験しました。まあ落ちましたけれど。

それくらい、弁護士の仕事に意義を見出せずに、迷っていた時期がありました。

そんな頃、顧問先の幹部社員の勧めである経営者向けの研修を受けたんですよ。

1週間寒い山小屋にこもって、座禅を組んだり、山を駆けまわったり、まあいろんな課題をするという研修でした。その課題の一つで、夜、毎日、生まれた時から今までの自分史をノートに書いていくという課題がありました。幼い頃から順に書いていって、その話がちょうど小学校6年生の頃になったとき、ふと、あの頃の燃え上がるような正義感が再び沸き起こってきたんですよ。あの頃、○○くんを助けるために立ち上がったよな、とか。法曹を目指したのはそれが動機だったなって。

それで思ったんです。敷居の高い弁護士事務所に来てくれるお客様はいつも大変な思いをしている方が多い。中には自殺寸前に追い込まれている人もいる。夜も眠れないほど怒りや憤り、恐怖など負の感情に巻き込まれている人がお客様だったことを。

僕は、そんな時はよくお客様に、「あなたの問題は僕が引き受けて全部なんとかするから、あなたはもう考えないでほしい。そして1つだけあなたにお願いがある。今日は問題を全部忘れて、よく眠ってください。」と伝えるんです。

弁護士のやりがいの中で、案件を終えた時の達成感を挙げる方もいますが、僕はむしろ、依頼を受けた時の方が大きなやりがいを感じます。依頼者の表情は、相談室に入って来た時と出ていく時とでまるっきり変わる。人生の質が変わるんですよ

そうやって依頼人を助けていることは、まさに自分が小学校6年生の時のあの燃えるような正義感を現実にやっていることに他ならないと思いました。

こんな仕事は弁護士しかできない。弁護士の仕事は尊い、素晴らしい、そう思えるようになりました。

それで改めて、徹底的に弁護士人生を生きていこうと思いました。

弁護士としての仕事の意義に迷い、そして結論まで行き着くのに時間がかかった。弁護士の仕事は、目の前の人の人生を背負って戦うことであり、ひとつひとつが重く、だからこそ、尊く、素晴らしいこと仕事であることを改めて、心から確認できました。

これが、琉球スフィアのミッション、「人々に法の護りを」になってるんです。


◇東京から沖縄へ来た理由◇

ーー東京育ちの久保弁護士が、なぜ沖縄で法律事務所を?

那覇修習になったのが一つのきっかけです。

司法試験に合格した当時は、小学校4年からずっと東京生活だったので、東京かぶれになってたんですよ。東京に住む以外の人生はありえないとさえ思っていました(笑)

けれど、小学校6年生の時に思い描いた将来の夢は、美しい自然の中で豊かな家庭を築き、油絵や楽器などの趣味を楽し余裕を持つ暮らしをすることだった。司法試験に合格してガツガツ稼いで金持ちになろうと思っても、東京では、自然の中の暮らしは実現しない。あれ、おかしいな、これはどうしたらいいんだろうかと思いました。

そんなことをぼんやり悩みながら、修習前に3か月間ハワイでホームステイをしました。サーフィンを始め、浜辺で絵をかき、昼間は英会話。楽園のような生活をしながら、こんな素敵な自然の中での生活というのは、プライスレスだと思いました。それによく考えてみると、ハワイにも弁護士はいる。そうだ、那覇修習をやってみてもし、沖縄の生活が自分に合っていたら、ハワイよりも美しい海のある沖縄で弁護士になろう、そしたら夢が叶うなと。

修習中に「那覇に行きます!」といったら驚かれたり、勇気あるねと言われたりすることが多かったのですが、弁護士になってどこに住んでも生活ができて、まさに憲法で保障されている居住移転の自由を行使できるのに、しない人が多いのだなとも思いました。

こうやって那覇修習に行き、そこで就職したわけです。

沖縄県読谷村のカフェで”沖縄の自然”を案内してださった久保弁護士



ーー弁護士法人琉球スフィアを運営する際に重視している点はなんですか。

2018年に事務所を法人化するときに考えたことなんですが、弁護士は、人に使われるのも人を使うのも好きではない人が多いように思います。元々自由が好き、あるいは憲法13条辺りを勉強したからかもしれません。実際、法律事務所は弁護士1人の事務所がほとんど。複数人の弁護士がいる事務所でも、全員で力が合わせているかというとそうではなく、ばらばらの弁護士が寄り合い所帯を作っているだけに見えます。

一人ひとりの弁護士が債務整理、交通事故、離婚、相続、貸金請求、不動産紛争から刑事、行政事件まで何でもかんでもやっている。そうすると、サービスの質が高くならないように思うんです。しかし、お客様が法律事務所に求めているのは専門性です。そこに正面から向き合って行く必要があるのではないかと思いました。

そして、この業界はなんでこんなことになっているのかなと思いました。僕が弁護士を見ていると、みんな賢いし、モラルが高い人も多く、素晴らしい人たちだと思います。

ところが世の中を見渡した時、はたして、弁護士が本来持っているその素晴らしい素質を生かして貢献し、影響力のある弁護士っているだろうかと。松下幸之助、稲盛和夫、そういった名経営者と呼ばれる方々、また世界を見渡せば、マーク・ザッカーバーグだとかジェフ・ベソス、イーロン・マスクといった起業家や経営者が圧倒的な影響力を持っているのに弁護士はどうしてこんなに小粒に終わってしまっているのだろうかと。疑問に思ったんです。

これは一つの仮説ですが、日本では司法試験という高い参入障壁のおかげで、弁護士になったら競争があるといっても大したものではなく、先生と呼ばれる社会的な地位が約束されてしまうので、名誉欲とかの社会的な欲求は、普通の人が手に入らないとこまで満たされちゃうわけです。そのうえ、ちょっと仕事すると最初っから600万円とかもらえちゃって、まあ少し頑張れば1000万円くらい稼いで、経済力も手に入る。素敵なパートナーを見つけて家を建てて家庭を築いたらまあそれでもう大満足かと。

そうすると、成長しないわけです。もちろん本人としては新しい事件をやるたびに新しい知識を身に着けて、成長しているとは思うかもしれない。しかし、通常の弁護士の仕事以上をやろうと思ったら、人によっては一番苦手な、人雇って経営するとか、そういう面倒な弁護士以外の仕事をしないといけない。弁護士の仕事だけでも大変なのに、そんな面倒なこといちいちやってられない、このまま食っていけるならということで、あとはその繰り返しの中で趣味に没頭したり、弁護士会活動に精を出したりと。

それらが悪いとは言いませんが、苦労して世の中に感銘を与えるようになっていく人が少ないのではと思います。

これはとても残念なことだと思いました。

僕の場合は、35歳で妻と結婚し、海を一望できる小高い丘の上に家を建てて、家族と豊かな暮らしを実現したことで、幼いころの夢を完全に実現しました。だからこそ次のステージに行くことができたのかもしれませんが、弁護士の仕事の価値を見つめ直してからは、もっと弁護士の仕事の価値、パワーを世の中に及ぼす必要があるし、俺がそれをやるんだという強い思いを持ったんです。そこで事務所を組織化することを決意し、2018年に法人化をしました。

当時すでに事務所自体はお客様に恵まれてはいたのですが、僕1人でできることなんで所詮大したことがないわけです。社会に良い影響を与える素晴らしいサービスを作るには、1人がいろんなことをやっていてはだめで、組織を作ってお客様を集め、弁護士はいくつかの分野に分かれて専門性を磨いてお客様の求めるサービスを提供しなければと思いました。

そして、この法人のミッションとビジョンを作り上げ、みんなと共有して仕事に邁進しているわけです。

組織の要件の1つに、メンバーが共通の目的を持っていることというものがあります。

多くの法律事務所は、その点では組織といえないところが多いのではないでしょうか。僕たちは、事務所のミッションやビジョンを共有してこの仕事の素晴らしさを世の中に伝えることを普段から強く意識するようにしています。

まだ法律事務所では珍しいことかもしれませんが、これは、優良な企業であればどこも共通してやっていることだと思います。


◇久保弁護士の考える理想の弁護士と、今後のビジョン◇

那覇オフィスは国際通りからすぐ。建物入り口にはもちろんシーサーがいる。


ーーどんな弁護士が理想ですか?

肝心な時に、逃げないで前に出る弁護士じゃなきゃいけないと思いますね。

弁護士は元々代理人なのだから、依頼者の代わりに何かするのが大事だと思います。弁護士はリスク管理だとかリスク回避だとかいうことばかりに気を取られ、肝心なところで腰が引けてしまい、司法試験の答案ではないですが、場合分けしてこうしたらこう、ああしたらこうとだけ言ったり、あとはあなたで判断してださいなどと依頼者の一番の悩みを放置してしまう人も少なくないという印象です。

これでは依頼者から信頼されないし、尊敬もされません。

依頼者が何を望んでいるのかという目線から出発して、私は法律家としてこう考える、だから自分ならこうするんだとはっきりと意見を言って行動できる人にならなければいけないと思います。

聞けば当たり前のことなのですが、必ずしもみなそうなってはいないように見えます。

このテーマでは、株主総会で総会屋対策で一躍有名になった久保利英明弁護士の話を仲間たちにもすることが多いです。

久保利先生は森総合法律事務所(現 弁護士法人森・濱田松本法律事務所)で、企業法務弁護士の象徴のように言われていたように記憶しています。総会屋対策で久保利先生がやったのは総会屋に負けない総会マニュアルを整備し、それを徹底すべく、経営陣を体を張って守った、ということかと思います。久保利先生が絶大な信頼を得たのは、まさに危険な現場で体を張って戦う姿勢があったことに尽きるのではないかと思います。

久保利先生のおかげで、その後、総会屋対策は弁護士の一大職務領域ともなった。久保利先生は体を張って市場を開拓してくれたわけです。そういう意味で多くの企業法務に携わる弁護士は久保利先生に感謝すべきところが多いように思います。

その久保利先生が、僕が受験時代に読んだ受験生向けの雑誌の中で、弁護士に最も必要なものは何かという問いに対して「闘争心」だと答えていました。

クライアントにとって何が大切かを必死で考え必死で戦うこと、やはり弁護士の一番大事なことは、そういう部分にあると思っています。

ーー今後のビジョンは?

法人化した時点から、私たちは弁護士の仕事の素晴らしい価値を世に広めて社会を変革することを志しているので、常に成長を求め続けます。より良いものを広めていくことは必然的に成長と拡大を意味するわけです。

その上で、この弁護士法人は、法人化した当初から、海外への業務展開もビジョンとして描いていました。香港・ニューヨーク州の弁護士資格も保有する絹川弁護士が当初からメンバーになってくれたこともあります。

沖縄は琉球王朝時代、中継貿易で栄え、「万国津梁」という言葉が残されています。世界の架け橋というような意味ですが、僕はこの言葉が好きで、その世界を現代に再現し、その一翼を担いたいと思っています。

そのような中で、絹川弁護士のかつての同僚の小堀光一弁護士が、彼は中国企業の顧問をするなど大陸の仕事を多く担っているのですが、一緒に国内・海外を目指そうと言ってくれたので、この度、共同事務所を作りました。彼の事務所の「スフィア」という名前を共通化し、私たちの弁護士法人琉球法律事務所を「弁護士法人琉球スフィア」と改称し、東京の「弁護士法人スフィア東京」とともに2人の法人メンバーがいる「スフィア法律事務所」を作りました。

これにより弁護士法人琉球スフィアは、東京には麹町と立川、沖縄には那覇、ライカム(北中城)、読谷の5つの拠点を持つ弁護士法人となりました。今後は、7月に、国税審判官の任務を終えて戻ってくる弁護士を迎えて福岡にもオフィスを開設する予定です。そのほか、税理士法人等も設立準備をしています。こちらは私たちが強みをもつ相続業務をさらに強化するために進めようと考えています。

弁護士法人琉球スフィアは、代表の久保先生の人生観が詰まった事務所でした。

それは、弁護士の本質を「相談者の代わりに立ち向かう代理人」に見出すこと。そして、組織全体が同じMISSIONを掲げ、社会に大きな影響を生むこと。

自然のなかで、「人々に法の護りを」を実現させる。これらを余すことなく両取りした弁護士法人琉球スフィアは、沖縄から世界へ、まだまだ拡大中です。

ビーチにて久保弁護士の幼少期から今までの夢を語ってもらった


弁護士 久保以明(くぼ・もちあき)

経歴

1998年 一橋大学法学部卒業
2001年 最高裁判所司法修習生(55期)
2002年 司法修習修了
2002年 小堀啓介法律事務所入所
2007年 琉球法律事務所開設
2018年 弁護士法人琉球法律事務所設立
2024年 スフィア法律事務所 弁護士法人琉球スフィア 代表弁護

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