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死刑立ち合いの経験を語る弁護士『法が人の命を奪っている現状を知って欲しい』
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死刑立ち合いの経験を語る弁護士『法が人の命を奪っている現状を知って欲しい』

10/28/2025

法曹界の多様なキャリアや働き方について聞く、シリーズ「タテヨコナナメの法曹人生

6回目は、少年の人権を擁護し、更生に向けてサポートする「付添人」として長年活動し、1997年に神戸で発生した児童連続殺傷事件の弁護団長も務めた野口善國弁護士にお話しを伺いました。前編では、野口さんが弁護士になる前に刑務官として東京拘置所で立ち会った死刑執行について、そしてその後弁護士になるまでの経緯を聞きました。(ライター:細川 高頌/The Law School Times編集部)※死刑執行の様子についての記載があります

◇非行少年との出会い◇


ーー最初に、弁護士になるまでのことについて教えてください

私は甲陽学院高校を卒業して東京大学の法学部に入学しましたが、周りの人から「これまで受験勉強ばかりしていたんだから、勉強以外の活動もしてみたら」と言われ、入学後色々な活動に参加してみました。英語が好きだったのでESSに参加してみたり、地域のボランティア活動に参加してみたりしたのですが、どれもしっくりこなかったんです。そんなときに、「非行少年と友達になろう」という活動があって、そこにも顔を出しました。具体的には、非行を犯した少年に勉強を教えたり、一緒に遊んだりですね。そうして非行少年と関わるうちに、彼ら/彼女らが変わっていく姿を目の当たりにして、心を動かされていきました。

ーーそこから、なぜ弁護士になろうと思われたのですか?

最初は、少年事件を扱う裁判官になりたいと思っていました。ある時、少年事件の審判を見学させてもらう機会があって、その様子に驚きました。それまで私が想像していた裁判官は、少し高いところから権威的に原告と被告の主張を聞き判決を下すというものだったのですが、少年事件の審判が行われている家庭裁判所は、フラットな席で、裁判官が罪を裁くのではなく教育的な観点から少年審判をする場でした。そこに惹かれて裁判官を目指すようになりました。しかし、当時ほとんど勉強していなかったこともあり、初めて受けた司法試験で一次試験にも合格することができませんでした。公務員試験には合格したので、まずは少年院の教官を目指そうと思い、法務省に入りました。

◇国民には、死刑執行について知る権利と義務がある◇


ーー法務省に入ったあとは、どのようなお仕事をされていたのでしょうか

私は少年院の教官になりたいと伝えていたのですが、少年施設ではなく行政施設に配属となり、そこで刑務官としての訓練を受けました。

当時、東京拘置所は2舎、3舎、4舎が独居房で、私は主に「過激派」と呼ばれる学生が収容されている2舎の主任をしていました。死刑確定者は4舎に収容されていたのですが、ある日、上司から「明日死刑を執行する者がいる。執行までの間、2舎で身柄を戒護するように」という指令を受けました。正式な書類で確認したわけではないのですが、同僚から聞いた話では、その者は強盗目的で1人を殺害した強盗殺人犯で、地裁で死刑を宣告されたあと、裁判官からも控訴を勧められたにも関わらず、控訴権を放棄したということでした。見た目は普通の中年の男性に見えました。

死刑執行の前日、その者は妻と面会し、妻はその者の手を握ってずっと泣いていました。本人は終始微笑んでおり、落ち着いた様子で、言葉遣いも丁寧でした。そして、「自分は罪を犯してしまったのであるから、その責任をとるのは当然のことだ。人は誰しもいつかは命がなくなる。それが後になるか先になるかの違いです。どうか悲しまないでください」と話しました。

妻は何も言えず、その者の手を握って泣いていましたが、別れ際に絞り出すように「あなたの子の顔が、段々あなたに似てきた」と話していたのが印象的でした。

翌朝、私は警備隊員と一緒にその者を刑場まで連行しました。刑場では、僧侶らしき人がお経をあげていました。その者は「お世話になりました」と丁寧に挨拶をしたあと、所長に何か言い残しておく事はあるかと聞かれると、「一つだけいいですか。お世話になった方に握手させてください」といい、幹部職員一人一人と握手をしました。

刑が執行され、部屋の床が開いてその者の体が下に落ちていきました。私は警備隊員と一緒に、ロープを持って揺れを止めました。部屋の下は地下室になっていて、階段で上り下りすることができました。地下には、医師と検察庁の代表と思われる人が椅子に座っていて、私が地下をみると、その者の胸が鼓動するのが見えました。医師が心臓が止まったことを確認し、刑の執行が終わりました。持ち場に戻ろうとした私に、上司は、「今日の事は奥さんなどの家族にも言うなよ」と言ったのを覚えています。それから50年以上が経ちましたが、この時の経験は、家族には一度も話したことがありません。しかし外部に向けては、話して欲しいという要望を受けたこともあり、法務省を辞めてしばらくたってから話すようになりました。

ーーなぜ、ご自身の経験を語ろうと思ったのでしょうか。

私は死刑執行を見て、「法の執行」であると同時に、「人を殺している」という感覚がありました。憲法によれば人の命は何より貴重な人権なのに、国民が定めた法律に従って人の命が奪われている。その是非は別にして、そうであれば国民には死刑執行の実情を知る権利と道義的義務があるし、私にはそれを語る義務があると思い、語り始めました。

ーーそこから、なぜ弁護士になられたのでしょうか。

当時の上司と喧嘩して法務省をやめ、司法試験を受けることを決めました。先ほども話した通り最初は裁判官になろうと思っていたのですが、裁判所で司法修習を受けているときに、裁判長からある質問をされて、自分の見解を述べたら、陪席裁判官が私の意見を否定しました。しかしその後、裁判長が私の意見に賛成だと言った途端、陪席裁判官は下を向いて何も話さなくなりました。当時の私は「裁判官の独立性」ってこんなものかと思ってしまったんですよね。もちろんそういう裁判官ばかりではありませんが、その時は裁判官であっても権威主義的なところがあることに失望してしまって、弁護士になることを決めました。

その後、弁護士として300人以上の非行少年と関わってきた野口弁護士。現在の非行少年をとりまく環境や法制度の思いについては、後編で

<略歴>

1965年 甲陽学院高校卒

1970年 東京大学法学部卒

1970年 法務事務官(法務省矯正局上級職採用)

1980年 東京弁護士会に弁護士登録(32期)、渋谷共同法律事務所入職

1983年 神戸弁護士会(現兵庫県弁護士会)に登録換え、野口法律事務所開設

1988年 神戸弁護士会少年問題対策委員長

2004年 兵庫県弁護士会人権擁護委員長


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