
12/17/2025
法曹界の多様なキャリアや働き方について聞くシリーズ「タテヨコナナメの法曹人生」。
第7回は、「大川原化工機冤罪事件」において、大川原化工機側の弁護士として、警視庁や検察庁の違法捜査を主張し、約1憶6600万円の賠償を命じる判決を勝ち取った高田剛弁護士にお話を伺いました。高田弁護士は今年、企業・社会の変革につながる取り組みをした弁護士を表彰する「BUSINESS LAWYERS AWARD 2025」でグランプリを獲得。事件を通じて、「人質司法」の問題点と、「今回のような事件はどの企業でも起こり得る」ことを痛感したといいます。弁護士を目指した経緯から、大川原化工機冤罪事件の核心、そして致命的な冤罪事件に巻き込まれないために、今、伝えたいこととは。

※大川原化工機冤罪事件とは
インスタントコーヒーやカップラーメンの粉末スープなどを製造する「噴霧乾燥機」を製造、販売していた大川原化工機株式会社が、所管する経済産業省に必要な許可をとらずに噴霧乾燥機を輸出したとして、同社の社長など3人が逮捕された事件。当時業界内で特殊構造を持たない噴霧乾燥機は許可が必要な機械に分類されないという認識が一般的であったが、軍事転用される危険があるという誤った疑念に基づき捜査が行われた結果、社長を含む3人が起訴され、初公判の直前に検察側が起訴を取り消す異例の対応をとった。長期間に渡る勾留中に、相嶋静夫さん(当時72歳)が無実を訴えながら亡くなり、その後の国家賠償請求訴訟で裁判所は国の違法捜査を認定したうえで、約1憶6600万円の賠償を命じた。
参考:日本弁護士連合会 大川原化工機事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/visualisation/falseaccusation/case4.html
(ライター:細川 高頌/The Law School Times編集部、編集・写真:晋川陸弥/The Law School Times編集長)
ーー大学では薬学部に進学されていたということですが、そこからなぜ弁護士を目指されたのでしょうか
大学を卒業し、進学する大学院の研究室まで決まっていたのですが、春休みに友人と「何か新しいことしてみたいね」と話して通った司法試験予備校の体験講座が面白くて、そのまま大学院を休学して予備校に通うようになりました。翌年司法試験を受けたのですが、論文試験で不合格になり、それが悔しくてもう1年休学を延ばすことを決め、次の年の司法試験に合格し、そのまま大学院を中退しました。
もともと法曹を目指して勉強を始めたわけではないので、司法試験に受かった当時は法曹3職種のことについてもほとんど知りませんでした。就職活動も友人から紹介された事務所の面接に行ってそのままその事務所に就職したので、確固たる弁護士像とかは全然ないまま、弁護士として働き始めました。
ただ、当時からロックバンドを組んでいたりして、組織や上司に縛られない自由な働き方がしたいという思いがありました。そういう意味では、弁護士の働き方が自分には合っているのではないかという感覚はありました。

――そこから企業法務の分野に進まれたのは、なぜですか
それは時代も大きかったですね。私が弁護士になった当時はちょうど会社法の制定に向けて議論が盛んに行われていたときで、就職した事務所はそれまで企業法務の案件はほとんどやっていなかったのですが、代表弁護士が企業法務に力を入れようという方針を打ち出したんです。当時新人弁護士だった私は、請け負う案件も少なかったので、会社法について勉強したり、企業法務のセミナーに参加したりするうちに、気が付いたら企業法務の道に進んでいました。ただ、企業法務の分野は本当にクリエイティブで、どのように企業からの相談に応えていくのか、課題を解決するのかを、先例にとらわれずに自分なりの戦略を立てていくことができるというのは、私の感覚にすごくあっていたと思います。
――独立されるまでの経緯について教えてください
最初に入った事務所に15年以上在籍してパートナー弁護士となり、企業法務の分野を取り仕切るようになっていました。
この事務所で長く働きたいという思いもあったのですが、やはり事務所に雇われている以上は事務所の売り上げに貢献しなければならず、割に合わない仕事はなかなか受注しにくいという課題も感じていました。
私は高校生のころに大きな病気をして半年くらい入院していたことがあり、そのときに、友人が差し入れてくれた手塚治虫の『ブラックジャック』を夢中になって読みふけったことがありました。ブラックジャックは、弱い立場の人に対して厳しい言葉も言うけれど、最後はその人たちの命を助け、報酬を受け取らないこともあります。それができるのは、ブラックジャックが圧倒的な技術をもつプロフェッショナルだからです。
腕があるから、お金持ちからどんどん仕事の依頼があって、その人たちから高額な報酬を受け取り、そのお金を弱い立場の人たちのために使うことができる。そういう弱い立場の人のために働ける真のプロフェッショナルとしての姿に憧れがあったんです。
自分もそのようなプロフェッショナルとして、割に合わなくても自分が受けたいと思った仕事を自分の責任でやりとげたいという思いがあり、ちょうど40歳くらいのタイミングだったこともあって、独立するならこれが最後のチャンスだなと思い、今の事務所を設立しました。

――大川原化工機についても、最初は顧問先の一つだったんですよね
そうです。最初は別のトラブルの相談を受けたのがきっかけで顧問契約を結びました。ただ大川原化工機は、会社の規模は大きくないものの、業界のトップランナーでしっかりとした経営基盤もあったので、頻繁に相談があるような会社ではありませんでした。それが急に、会社にガサが入ったという連絡があり、当時はとても驚きました。
――そこから、どのような弁護方針を立てたのでしょうか。
ガサを受けたときは、何も悪いことはしていないのだから、きちんと捜査に協力していきましょうと会社には伝えました。会社側は警視庁の任意の取調べに誠実に対応していて、証拠隠滅や逃亡のおそれもないため、逮捕する必要がなく、逮捕にはならないだろうと考えていました。しかし、任意捜査から約1年後に、社長など経営陣3人が逮捕されました。
警察から3人が私を弁護人として指名しているという連絡を受け、すぐに接見に行き、改めて3人が何も悪いことはしていないと確認しました。ただ、私は刑事弁護畑ではないので、どのような方針を立てるのがいいのか、まずは知り合いのヤメ検の弁護士に相談しました。すると、「捜査機関側は自白させて有罪に持っていこうとしているから、黙秘させなきゃダメだよ」とアドバイスを受けたので、まずはその方針を3人に伝えました。そこから、なぜ3人が逮捕されたのかを検討していくと、外国貿易などについて定めた外為法や輸出規制省令の文言が曖昧な表現になっていることに気が付きました。捜査機関はそこを自分たちの都合のいいように解釈して、逮捕できると踏んだのだろうなと予測しました。
その後、大川化工機の従業員たちと協力して、疑いをかけられた噴霧乾燥機が、輸出許可を要するスペックに該当するのかを確認するために実験を繰り返し行なったところ、捜査機関側が自分たちに都合のいいデータしかとっていないということも分かってきました。そのため、法令の解釈の誤りと、実験の不十分さという2つの視点から主張を組み立てようという戦略を立てました。少なくとも実験の方は証拠としてのデータが残っているので、最終的には無罪判決を勝ち取ることができるとの期待はありましたが、検察側が公判開始直前に白旗を挙げ、起訴を取り消しました。どう主張しても罪に問うことはできないということに気が付いたのだと思います。

しかし、逮捕・勾留されたうちの1人で、技術者として噴霧乾燥機を開発した相嶋さんは、起訴取り消しの朗報を聞くことができませんでした。私たちの再三の保釈請求を裁判所が認めず、結局十分な治療を受けることができないまま亡くなってしまったのです。
私たちは起訴直後から何度も保釈を求めましたが、罪を認めてないことから罪証隠滅のおそれがあるとされ、却下され続けました。身体拘束が長期化する中、せめて年越しは自宅で過ごせるようにと、事実と程遠い内容が書かれていた関係者の供述調書についても最大限に譲歩して、証拠とすることに同意しました。その甲斐あって年末には保釈を認める決定が出たのですが、検察の準抗告を裁判所が認容して、結局、保釈許可決定は取消しになりました。
保釈を認める決定が準抗告により覆されるまで数時間しかありませんでした。その間に裁判官があの膨大な資料を読み込んで勾留の必要性をきちんと判断するのは不可能で、検察の強い要望に迎合したとしか思えません。この時は、弁護人として意見を述べる機会も与えられませんでした。
刑事訴訟法では、勾留は「逃亡や証拠隠滅のおそれ」など、勾留の必要がある場合にしか認められません。先ほどもお話した通り、大川原化工機は逮捕前の段階から捜査に協力し、1年数ヶ月の間に50名の役職員が合計291回の取調べに応じ、無数の供述調書が作成されていました。そのような中で、本当に「逃亡や証拠隠滅のおそれ」の有無を裁判所が実態をみて判断していたのか、大きな疑問があります。
――その後、大川原化工機は国賠訴訟を起こし、裁判所は国の違法な捜査を認めて1憶6600万円の賠償を命じました。国賠訴訟についてはどのような思いで取り組まれていたのでしょうか。
私が刑事裁判を通して痛感したのは、この国の「人質司法」のひどさです。裁判の中で、警視庁の担当者の「中小企業は経営陣が長期間勾留されれば経営が立ち行かなくなるから、自白せざるを得ない」という内容のメモや、検察庁の担当者の、「黙秘させれば被疑者の長期勾留は避けられず、会社は潰れる。最近の弁護士は悪質だ」という内容の発言のメモが残っていたことが分かりました。
実際、中小企業からすれば、たとえ冤罪であってもそれを主張して戦うだけの体力や資金のある企業は多くありません。捜査機関側はそれをわかっていて、自白を引き出すための手段として逮捕・勾留制度を利用している。今回の事件はそれが露呈したと思います。
捜査機関にきちんと捜査の違法性を認めさせ、このような人質司法をどう改善していくのか、その問題提起をしたことが、今回の国賠訴訟の意義の一つであったように思います。
――裁判では、1審と2審を通して実際に捜査に関わった警察官3人が違法捜査を認め、「捏造」があったという証言もありました。
3人の警察官は本当に勇気のある証言をしてくれました。しかし裁判の中で警視庁側は、3人の証言を「壮大な虚構」であると主張しました。自分たちの組織よりも社会的正義を貫いた人たちが組織の中で不遇な目に合わないように、社会全体で警視庁の対応を監視していく必要があると思います。
また、警視庁や最高検は今回の冤罪事件を受けてそれぞれ自己検証を行い、結果を公表しました。警視庁の報告書では、「輸出規制省令に対する公安部の独自解釈に経産省が否定的だった経緯を踏まえ、立件を慎重に検討するべきであった」「機器の実験で捜査方針に沿わない結果が出たのに追加捜査をせず、公安部幹部や検察官と共有もしなかった」「消極証拠の信用性について慎重な検討をせず、その裏付け捜査に至らなかった」などという内容が盛り込まれましたが、その内容も十分なものであるとは思えません。
――今回の事件を受けて、企業が冤罪事件に巻き込まれないように注意するべきことはどんなところにありますか

大川原化工機のような事件は、どのような企業でも巻き込まれる可能性があります。
警察はガサの段階からマスコミに取材をさせることがあり、一度その内容が報道されると、企業にとっては取引先や顧客からの信用を失うことになります。また、経営者が逮捕されれば、銀行からの融資などにも重大な影響を与えます。たとえその後無罪判決となったとしても、企業側の負ったダメージは決して回復しない。
そうならないように事前に気を付けなければならないことは、「このくらいであれば大丈夫だろう」と自分たちで判断をせず、まずは関係省庁に細かく確認をすること。また、刑事事件に限らずですが、トラブルになる前に早い段階で弁護士に相談し、法的助言を求めることが重要だと思います。近年、大企業は企業内弁護士を採用する企業が増え、そのような企業内弁護士の活躍によってトラブルを未然に防ぐケースも増えてきました。
中小企業が弁護士を雇うことは難しいと思いますが、何かあったときに弁護士に相談できる体制を普段から作っておくことが、自分たちの身を守ることにつながると思います。それと同時に、捜査機関に対しては、中小企業に対する過度な「人質司法」が行われないように、また、今回の事件のようなことが繰り返されないように、社会全体で再発防止を求めていく必要があると思います。

略歴
1991年 開成高等学校 卒業
1995年 東京大学薬学部 卒業
1998年 東京大学大学院薬学系研究科 中退
2000年 弁護士登録
2007年 株式会社マルエツ 社外監査役(現任)
2015年 東プレ株式会社 社外取締役 (現任)
2016年 和田倉門法律事務所 設立
2021年 ノーリツ鋼機株式会社 社外取締役(監査等委員)・指名報酬委員長(現任)
2022年 株式会社オープンドア 社外取締役(現任)